かならず再(ふたた)び会(あ)う

 先立(さきだ)った方々(かたがた)を思(おも)えば、在(あ)りし日(ひ)の面影(おもかげ)を懐(なつ)かしく思(おも)うとともに、言(い)いようのない寂(さび)しさを覚(おぼ)える。

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、お弟子(でし)に宛(あ)てた手紙(てがみ)の中(なか)で仰(おお)せになる。

 

 浄土(じょうど)にてかならずかならずまちまゐ(い)らせ候(そうろ)ふ(う)べし

 

 再(ふたた)び会(あ)うことのできる世界(せかい)がそこにある。今(いま)ここで、同(おな)じ信心(しんじん)をいただき、ともに阿弥陀如来(あみだにょらい)の救(すく)いにあずかっている。だからこそ、かならず浄土(じょうど)に生(う)まれて再(ふたた)び会(あ)える確(たし)かさを、今(いま)よろこぶことができる。

 本願(ほんがん)の教(おし)えに出(で)あえた時(とき)、今(いま)ここで救(すく)われ、再(ふたた)び会(あ)うことのできる世界(せかい)が恵(めぐ)まれる。




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