美(うつく)しき西方浄土(さいほうじょうど)

 経典(きょうてん)には、阿弥陀如来(あみだにょらい)の西方浄土(さいほうじょうど)が、清(きよ)らかな蓮華(れんげ)が咲(さ)き、麗(うるわ)しくかざられた、さとりの浄土(じょうど)として説(と)かれている。

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、安楽浄土(あんらくじょうど)のさまざまなありさまを、

 法蔵願力(ほうぞうがんりき)のなせるなり

と仰(おお)せになる。

 美(うつく)しい浄土(じょうど)のありさまは、「迷(まよ)いの凡夫(ぼんぶ)を我(わ)が国(くに)に生(う)まれさせ、必(かなら)ずさとりに導(みちび)きたい」という阿弥陀如来(あみだにょらい)の願(ねが)いの力(ちから)によってできあがっている。

 凡夫(ぼんぶ)は、さとりの世界(せかい)に背(せ)を向(む)け、迷(まよ)いの世界(せかい)にあり続(つづ)けている。阿弥陀如来(あみだにょらい)はそれを哀(あわ)れみ、さとりの内容(ないよう)を凡夫(ぼんぶ)に応(おう)じて示(しめ)される。美(うつく)しくかざられた安楽(あんらく)の世界(せかい)を、夕陽(ゆうひ)の沈(しず)む西方(さいほう)に建立(こんりゅう)して、凡夫(ぼんぶ)の到(いた)るべき世界(せかい)を指(さ)し示(しめ)し、浄土(じょうど)に生(う)まれさせてさとりに導(みちび)かんと願(ねが)われるのである。


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