他力本願(たりきほんがん)

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は仰(おお)せになる。

 

 

 他力(たりき)といふは如来(にょらい)の本願力(ほんがんりき)なり

 

 他力(たりき)とは、阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願(ほんがん)のはたらきであり、これを他力本願(たりきほんがん)という。他力本願(たりきほんがん)は、如来(にょらい)から私(わたくし)に向(む)けられたはたらきであって、自分(じぶん)の望(のぞ)みを他人(たにん)まかせにすることではない。

 阿弥陀如来(あみだにょらい)は四十八(しじゅうはち)の願(ねが)いを発(おこ)して仏(ほとけ)となられた。その願(ねが)いの根本(こんぽん)である第十八(だいじゅうはち)の願(ねが)いは、「われにまかせよ。わが名(な)を称(とな)えさせ、浄土(じょうど)に生(う)まれさせて仏(ほとけ)にならしめん。」という願(ねが)いである。如来(にょらい)は、私(わたくし)たちを救(すく)わんとしてつねに寄(よ)り添(そ)い、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の喚(よ)び声(ごえ)となって、われにまかせよと、はたらき続(つづ)けておられる。このはたらきを他力(たりき)といい、本願力(ほんがんりき)というのである。

 阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願(ほんがん)のはたらきにおまかせして、念仏(ねんぶつ)を申(もう)しつつ、如来(にょらい)の慈悲(じひ)につつまれて、浄土(じょうど)への道(みち)を歩(あゆ)ませていただくのである。

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