如来(にょらい)の喚(よ)び声(ごえ)
阿弥陀如来(あみだにょらい)は、すべての者(もの)を救(すく)いたいと願(ねが)われ、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の名號(みょうごう)となられた。名號(みょうごう)は、如来(にょらい)の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を円(まど)かに具(そな)えた、救(すく)いのはたらきそのものである。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)はこの如来(にょらい)の名號(みょうごう)を
本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり
とおおせになる。
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)は、かならず救(すく)う。われにまかせよ。との阿弥陀如来(あみだにょらい)の喚(よ)び声(ごえ)である。
如来(にょらい)は、偽(いつわ)りと真実(しんじつ)の見分(みわ)けもつかない凡夫(ぼんぶ)を哀(あわ)れみ、名號(みょうごう)による救(すく)いを選(えら)び取(と)られた。如来(にょらい)の御名(みな)は、遍(あまね)く世界(せかい)に響(ひび)き渡(わた)り、この真実(しんじつ)のすくいのにまかせよと、喚(よ)び続(つづ)けておられる。
その喚(よ)び声(ごえ)は、私(わたくし)の称(とな)える南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の念仏(ねんぶつ)となって、今(いま)ここに至(いた)り届(とど)いている。念仏(ねんぶつ)の声(こえ)を通(とお)して、如来(にょらい)の大悲(だいひ)の喚(よ)び声(ごえ)を聞(き)かせていただく。