自在(じざい)の救(すく)い

 念仏(ねんぶつ)申(もう)し浄土(じょうど)へと先(さき)だっていかれた方々(かたがた)は、この世界(せかい)にかえり来(き)て、私(わたくし)たちを念仏(ねんぶつ)の教(おし)えに導(みちび)いてくださっている。

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は仰(おお)せになる。

 

 安楽浄土(あんらくじょうど)にいたるひと

  五濁悪世(ごじょくあくせ)にかへりては

  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のごとくにて

  利益衆生(りやくしゅじょう)はきはもなし

 

 浄土(じょうど)で仏(ほとけ)となった方(かた)は、大(おお)いなる慈悲(じひ)の心(こころ)をおこして、迷(まよ)いの中(なか)で苦(くる)しむすべてのものを救(すく)いたいとはたらき続(つづ)ける。さまざまな縁(えん)を通(とお)して私(わたくし)たちを仏前(ぶつぜん)に誘(いざな)い、仏法(ぶっぽう)聴聞(ちょうもん)を勧(すす)めてくださっている。そのはたらきは、釈尊(しゃくそん)が巧(たく)みに人々(ひとびと)を教化(きょうけ)されたように、自在(じざい)であり限(かぎ)りがない。

 私(わたくし)たちは、多(おお)くの先人(せんじん)たちの導(みちび)きによって、同(おな)じように浄土(じょうど)への道(みち)を歩(あゆ)ませていただく。この道(みち)は、凡夫(ぼんぶ)が浄土(じょうど)で仏(ほとけ)となり、自在(じざい)の救(すく)いを行(おこな)うことができる尊(とうと)い道(みち)である。

 

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